#選択
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知識の時代から選択の時代へ — このブログの起点になった問い
普遍的知識がAIに集約され誰もが取り出せるようになったとき、希少なのは「何を選び取ったか」ではないか、 という問いから始まった対話。生成がタダになった世界で値打ちを持つのは弁別器(discriminator)の方だ、 という応答を得た。ただし「私が選んだ」という事実だけでは、皆が同じモデルに均されるなら情報量は小さい。 本当に希少なのは、単一の選択ではなく、時間で積分した一貫した視点——多数の選択の上に浮かび上がる見方。 このブログ企画そのものの種が蒔かれた記録。