発端
普遍的な知識はすべてAIモデルに集約され、限界費用ゼロで誰もが取り出せるようになった。 だとすると「知っていること」自体はもう希少ではない。希少なのは、その巨大な知識の集合体から 何を選び取って自分のものにするかという選択の履歴ではないか——という問いから始まった。
インターネット、AIときて、全人類の持ち物が実質的にならされて「スープのように薄く広く」広がった。 だからこそ、そこから何を選び取り、何を表現し、何を為すかが、情報理論でいう「情報量の多い」希少な行為になる。
揺さぶり:選択そのものより、軌跡と理由
「何を選んだか」の記録は突き詰めると選好の記録で、選好はプロファイリング可能だ。 本当に希少なのは選択そのものより、選択の連なりが描く軌跡と、なぜ他ではなくこれを選んだのかという理由。 点ではなく、軌道。だから公開するなら、結論のリストより、選ぶ過程の逡巡を残すほうが理屈に忠実になる。
本当の核:AIによる思想の私的増幅
途中で出てきた動機のほうが、情報理論の話より具体的で強かった。
みんながAIと会話しすぎて各々が自分の思想を増幅するようになり、少し話したくらいでは相互理解にたどり着けない
AIとの対話は、各人の思想を私的に増幅する装置になっている。エコーチェンバーが一人ひとりの頭の中に入り込んだ。 だから他人の思想は以前より見えにくくなった。この公開は、その私的増幅装置の出力を外に開いて共有可能にする行為で、 問題そのものへの対抗策になっている。普通の名刺が肩書きを伝えるのに対し、これは思考の名刺—— 結論ではなく、考え方の癖・迷い方・何を面白がるかを渡す。
落とし所:サマリーと軌跡をセットで、入れ子に
- サマリー=自分のための索引。結論の要約。実用的だが情報量は低い。
- 軌跡=他者にとっての情報量。なぜそれを選んだか、どこで迷ったか。生のまま。
並置ではなく、サマリーが軌跡への目次になる入れ子構造にする。サマリーはTL;DRであり、同時に目次。 軌跡は生に近く保つが、個人情報と明らかな脱線だけは剪定する(丸めると平均に戻り、情報量が下がる)。
そして各記事には日付を刻む。これは「その時点の私」のスナップショットであり、固定した自己像ではない。 名刺というより、年輪。変化そのものを見せる。